北海道余市町にある『ニッカウイスキー 余市蒸溜所』は竹鶴政孝によって設立されたウイスキー製造工場。
ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝とその妻リタの物語は、NHK連続テレビ小説『マッサン』としてドラマ化されたこともあり、余市蒸留所は今や大人気の観光地となっています。
その余市蒸溜所ですが、竹鶴政孝の当初の計画では余市町ではなく江別市に蒸留所を建設する計画があったとのことです。
スポンサーリンク
【マッサン】ニッカウヰスキー蒸留所 江別市に建設計画があった
『竹鶴政孝、幻の江別蒸溜所計画〜理想のウイスキー、夢の続き(上)/よみうりグルメ部』の記事によると、竹鶴政孝が当初、北海道札幌市の隣町である『江別市』に蒸留所建設計画を進めていたことが書かれています。
余市蒸溜所のウイスキー博物館にある竹鶴政孝の計画を記した大学ノートには、『昭和二年(一九二七年)十月、北海道ニウヰスキー工場ヲ建設スルニアタリテ』と題したメモに、江別市に工場を建設するに至った理由や地図、工場の生産量や面積、建築費などが書かれていたとのこと。
このエピソードに関しては余市町の公式サイトにも書かれています。
参考:余市町でおこったこんな話 その121「マッサン、余市へ」/余市町公式サイト
蒸留所の建設予定地は江別駅の南側だった?
竹鶴政孝は江別市のどの場所に蒸留所を建設しようと考えていたのでしょうか。
正確な建設予定地を記した資料は見つかっていないそうですが、『計画にある坪5円という土地代金をもとに、当時の江別の地価を調べ、現在のJR江別駅の南側が有力との推論を導き出した。』と記事にあります。
計画のメモを見てみると『石狩川』と数カ所書かれているので、交通の便や水の確保が容易な江別駅周辺は魅力的に見えたのでしょう。
1935年当時の江別駅周辺
ちなみにこちらは1935年当時の江別駅周辺の様子がわかる古地図。
余市町に北海道工場・余市蒸留所が創業したのが1934年10月とのことですので、その年代に近い江別駅の状況です。
建設予定となっていたとされる江別駅南側はこの当時何もなく、東光橋も架かっていません。
現在は住宅地となっていますが、蒸留所が建設されていたら東光橋の位置なども変わっていたかもしれません。
なぜ江別市の計画案は無くなったのか
結局のところ蒸留所は江別市ではなく余市町に作られることになったのですが、理由は何だったのでしょうか。
一番の理由として、石狩川に水害の恐れがあったというのが大きな要因だったそうで、この理由については余市町の公式サイトにも記されています。
上記の記事『竹鶴政孝、幻の江別蒸溜所計画〜理想のウイスキー、夢の続き(上)』ではそれに加え、余市の有力者から熱心な誘致があったこと、地代が江別より安かったこと、など複数の理由があったことが指摘されています。
仮に江別市に蒸留所が建設されていたら、江別市の歴史も大きく変わっていたかもしれませんね。