札幌市北区にある「北海道大学」キャンパス内に立つ『楡影寮(ゆえいりょう)記念碑』。
かつて北大にあった寮の跡地に立てられた記念碑なのですが、略年譜に「江別」の名称が刻まれていました。
なぜ北大の記念碑に江別の名前が書かれているのでしょうか?
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北大に残る江別の文字『楡影寮 記念碑』【江別市】
大きな文字で『楡影寮』と書かれた記念碑。下方には以下のように書かれています。
ここに僕らの棲み家があった
ここで学んだ 語った 歌った
そして時が流れた
楡影の青春を偲んで
オバンケルの息子たち
記念碑にはこの文章に関する説明文は一切ないので、事情がわからない者にとっては最後の「オバンケル」の意味が理解できません。
Wikipediaの解説には以下のようにありました。
この文は当時の北大の流氷観測施設長、青田昌秋の案を元としている[5]。 「オバンケル」という語はドイツ語で「おじさん」を示す"Onkel"(オンケル)と日本語の「おばさん」の造語で、当時住み込みで賄い人を務めた寮母である井林ミネのことを指している[5]。 碑文の「楡影寮」の文字は当時の北大総長であった中村睦男が揮毫した[5]。
出典:楡影寮/Wikipedia
「オバンケル」とは当時の寮母さんのことを指しているようです。
略年譜に「江別」の文字
略年譜には「1946年 私設寮とし江別に開寮」とあります。楡影寮はもともと江別市にあったようです。
恵迪寮(けいてきりょう)同窓会公式サイトによる説明には以下のようにあります。
楡影学寮
当初は、OB医師の好意によって製紙工場の工員寮を借用して医学部生用の江別楡影寮として存在したが、大学は、これを1956年に工場に返却し、札幌市北16条西8丁目に医学部施設を改装移築し、一般学部生を含めた学寮とした。移設後の学部生収容定員53名であった OB組織は、2003年9月に敷地近くに記念碑を設置して解散した。楡影学寮/恵迪寮同窓会
楡影寮は、江別市の旧王子製紙江別工場(現王子エフテックス江別工場)の従業員宿舎を借りて始まったのだそうです。寮生は当時50人ほどで、汽車などで大学に通っていたとのこと。
1955年に記念碑が立つ場所に移転し、1983年に恵迪寮への統合によって閉寮となっています。
王子製紙に北大の寮があったのは驚きでした。江別市とは意外な接点があったのですね。
楡影寮記念碑の場所アクセス地図
住所:〒001-0015 北海道札幌市北区北15条西9丁目