江別にはかつて飛行場があったということで、跡地を見に行ってきました。
場所は江別市見晴台。
5丁目通りを西へ入ったところの「元江別緑地」にあります。
緑地には巨大な送電線の鉄塔が立っており、頭上を電線が走っています。
スポンサーリンク
江別の飛行場跡地
江別飛行場の跡を示す標柱。
『史跡 旧飛行場跡 木製戦闘機と戦争』と書かれていました。
飛行場跡周辺の現在
標柱から東側を見たところ。
緑地と送電線が見え、右奥にはパン屋「もみの木」があり、周囲は閑静な住宅街が広がっています。
一見すると緑地が滑走路跡かと勘違いしそうですが、緑地と滑走路は全く関係がなく、緑地は東西に延びていますが滑走路は南北に延びていました。
王子飛行場跡地と誘導路跡地の地図
上の地図で飛行場の位置関係が分かります。
青い太線が滑走路跡で、赤線は王子製紙江別工場から飛行機を運ぶために造られた誘導路跡(現在も分かる部分)、赤いピンが標柱のある場所を示しています。
江別飛行場とは?
江別飛行場は太平洋戦争のまっただ中、昭和20年4月に竣工しました。
戦闘機を飛ばすために造られた滑走路なんですね。
戦闘機を作る材料に困っていた時代、代替材料として木製の戦闘機を生産する計画が持ち上がります。
1943年(昭和18年)9月、王子製紙江別工場に木製戦闘機製作が命じられる。
1944年(昭和19年)5月23日、王子航空機株式会社を設立。四式戦闘機「疾風」の木製版であるキ-106の製造に入る。
1945年(昭和20年)4月、江別飛行場・滑走路(2000m)と工場とを結ぶ4kmの誘導路が完成。
終戦までの間に江別工場にて3機の木製戦闘機が造られ、この飛行場から飛び立ったそうです。
木製戦闘機 キ-106
キ106
1944年、アルミ合金の不足から、機体の大半を木製化したもの。重心の変化により機首が延長され、フラップは蝶型ではないスプリット式に変更された。17%もの重量増加のため上昇力・速力が低下。また組み立てに使う接着剤に問題があり、試験中に主翼下面外板が剥離・脱落するトラブルも発生した。立川飛行機に加え呉羽紡績や、王子航空機(※)においても試作され、合計10機が完成した。訓練用としての使用も考えられたが、強度不足や構造が量産向きでない問題から生産は中止された。終戦後、アメリカ本国に1機が送られ調査された。のち1994年に北海道江別市早苗別川畔の地中から設計図が発見された。Wikipedia:「四式戦闘機」より
※王子航空機=当時の王子製紙江別工場(現・王子エフテックス江別工場)
木材で戦闘機を作ってしまう当時の技術力はスゴイものですね。
現在、江別市郷土資料館にてキー106の車輪や発見された設計図などが展示されています。
また機体の一部が札幌の北海道開拓記念館にて展示されているとのこと。