江別市に2つ存在する『イオン』の商業施設、『イオン江別店』『イオンタウン江別』。
江別に長くお住まいの方はご存じの方も多いと思いますが、昔は別の店舗名でした。
この記事ではこの2つの商業施設の変遷の歴史と、オープンによってどのような影響があったかについてまとめます。
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もくじ
ニチイ江別店(現・イオン江別店)の歴史
- 1978年(昭和53年):「ニチイ江別店」オープン。
- 1997年(平成9年):サティに業態転換し、「江別サティ」としてリニューアルオープン。シネマコンプレックス「ワーナー・マイカル・シネマズ江別」オープン。
- 2002年(平成14年):ポスフールへの店名変更に伴い、「ポスフール江別店」に改称。
- 2011年(平成23年):イオンへの店名変更に伴い、「イオン江別店」に改称。
ニチイ江別店の建物は現在のイオン江別店駐車場の位置にありました。サティ転換により店舗の場所が南側(現在の場所)に移っています。
イトーヨーカドー江別店(現・イオンタウン江別)の歴史
- 1978年(昭和53年)11月:「イトーヨーカドー江別店」オープン。
- 2007年(平成19年)1月21日:「イトーヨーカドー江別店」閉店。
- 2007年(平成19年)11月30日:「イオンタウン江別ショッピングセンター」オープン。
- 2010年(平成22年)8月7日:マックスバリュをディスカウントストア「ザ・ビッグ」に業態転換。
イオンタウン江別の建物はイトーヨーカドー時代のものがそのまま使用されており、2021年現在で43年が経過しています。
生協2店舗開業後のビッグ2進出による影響
『ニチイ江別店』『イトーヨーカドー江別店』の2店舗は、共に1978年11月オープンでした。
その2年前となる、1976年(昭和51年)11月には『生協江別店(一番町)』『生協野幌店(野幌松並町)』がオープンしており、そこに畳み掛けるように大型店舗の進出とあって、地元商店街などは戦々恐々だったようです。
昭和54年に行われた商工会議所の実態調査では、江別地区 80.7%、野幌地区 88.0%、大麻地区 86.2% がマイナス影響を受けたとしており、全体として90%近くが売上低下を訴えたとしています。
その対策として商店街の活性化などに力を入れることになるのですが、結局どこも上手くは行かず、衰退の一途を辿ることとなります。
江別駅前条丁目地区にダイエーが来ていたら…?
大型店の進出を皮切りに、江別地区商店街の衰退が加速、1982年(昭和57年)頃から倒産・廃業が増え始め、1986年(昭和61年)には酒屋・カメラ店・洋品店の店じまいが続きます。
1987年(昭和62年)9月には、本町通りにあった『王子サービスセンター・王子店(7条7丁目)』が休業。
この頃から既に条丁目の商店街は「シャッター通り」と呼ばれていたようです。
こういった状況を打開するため起死回生策として、江別地区への大型商業施設「ダイエー」の誘致話がありました。
その顛末について「えべつ昭和史」では以下のように伝えています。
しかし、平成2年4月、大型店の交渉相手であったダイエーの進出断念が確定した。断念の理由は、経営戦略としてショッピングセンターとレジャーを合わせた大型店としたいが、必要な最低3万3千㎡程度の用地確保が困難ということであった。特に同地区は地権者が多く、かつ地権者と建物所有者が別々のケースも少なくなく、結局、調整が暗礁に乗り上げたのだ。ここに江別商店街の近代化を目した再開発計画は、一頓挫し、再び仕切り直しとなった。
出典:えべつ昭和史 p.669
仮に江別地区にダイエーが進出していたとしたら、どのような発展があったのでしょうか…。
もしかすると人の流れや集客が大きく変わっていたのかも知れません。
道内初インベーダーゲームの撤去
ニチイ江別店とイトーヨーカドー江別店について、一つ面白いエピソードがあったので以下に引用します。
一方、この時期、ゲームセンターが林立しはじめ、中でも”インベーダーゲーム”の流行が隠れた非行の舞台になっていると指摘された。ゲームをしたいばかりに金銭をたかったり、硬貨の変造を行うといった非行のほか、視力障害を訴える場合さえあった。こうした中、五十四年六月、イトーヨーカドー江別店(六台)、ニチイ江別店(三台)では、それぞれ青少年に悪影響を及ぼすとして、道内初の自主撤去に踏み切ることになった。
出典:新江別市史 本編 p.653
道内初のインベーダーゲーム筐体撤去というのはなかなかインパクトのある事件ですね。
以上、江別に2つあるイオンの元となった『ニチイ江別店』『イトーヨーカドー江別店』の歴史と影響等についてのお話でした。