北海道江別市大麻の地名の由来について、旧地名と共に解説されているサイトが無いので(Wikipediaにも未掲載)まとめました。
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江別市大麻の地名の由来と変遷「麻畑」「大曲」「樹林地」
1916年(大正5年)の古地図には江別市大麻地区(この時は江別町)の旧地名が書かれています。
大麻地区は、開拓以来昭和十年の字名改正まで「麻畑」「大曲」「樹林地」の三つの部落に分かれていました。
現在のJR大麻駅周辺が「樹林地」、その北側に「麻畑」、西側が「大曲」でした。
各地名の由来と、「大麻」の由来は以下のとおりです。
麻畑(あさはた)の由来
麻畑は、明治二十二年、野幌屯田兵の授産農事の内、大麻(あさ)の栽培が奨励され、その最も好適地として、野幌屯田兵に入植した人々がそれぞれ一反歩(千平方メートル)位づつを通作で栽培していたので、麻地(あさぢ)または麻畑(あさばたけ)と呼ばれ、麻畑(あさはた)と名付けられた。
大曲(おおまがり)の由来
大曲は、明治二十一年札幌から白石を経て江別に通ずる旧国道が完成し、四番通りに接続する所と、その手前の二ヶ所で、大きく湾曲していたために大曲(おおまがり)と称された。
樹林地(じゅりんち)の由来
樹林地は、明治三十四年野幌屯田兵村の公有財産となり、薪炭建築用材地であったが、同三十八年、小作制度により、小部落ができて樹林地と称するようになった。
大麻(おおあさ)の由来
昭和十年、江別町の字名改正によって、統一して「大麻」と称するようになったが、この統一名決定に当たり、各部落の思惑がからみ、中々結論を出すことができず、最終的に大曲の「大」と麻畑の「麻」を組み合わせて大麻(おおあさ)と名付けたのである。したがって部落名が完全に消えた樹林地を第一部落とし、麻畑を第二部落、大曲下組を第三部落、大曲上組を第四部落(または農事実行組合と呼ぶことも多かった)と称するようになったのである。
※出典:『大麻開基百年記念誌「大麻開基百年」』(平成二年九月二十四日発行)より引用