江別市緑町西2丁目11にある巨大公園「飛鳥山公園」。
野球場やテニスコート、遊具施設もある大きな公園ですが、ここに江別市内で最も高い山「飛烏山」があります。
何も準備していない軽装の状態でしたが、登山にチャレンジしてまいりました。
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もくじ
江別市最高峰「飛烏山」登頂記 in 飛烏山公園[江別市緑町西2丁目11]
江別市緑町西2丁目11にある飛鳥山公園に来ました。
この公園には野球場、多目的広場、テニスコート、グリーンボール(パークゴルフ)場、プールやトレーニング室を持つ「青年センター」などがある、とにかく大きな公園です。
で、本日の目的は江別市内では最高峰と言われる「飛烏山」登山です。
多目的広場の奥に見えるのが「飛鳥山」です。
標高は17.5メートルであり、日本で15番目、北海道では4番目の低山とのこと。
順位的にひじょうに中途半端ですが、とにかく登ってみましょう。
飛烏山
こちらが飛鳥山のふもと。ダッシュすれば10秒ほどで山頂に着くかもしれません。
とりあえず山の東側から登ってみることにしました。
殉後忠魂碑
山の中腹に「殉後忠魂碑」が建っていました。手前には「三級基準点」もあります。
昭和15年10月建立。
開村記念碑・兵即農碑
山頂付近には開村記念碑と兵即農の碑。
開村記念碑の裏側には大正6年5月建立とあります。
開村記念碑の土台には移住件数が刻まれていました。
一部読み取れなかったのですが、だいたい以下のように書かれていました。
- 明治11年移住 岩手県十二戸
- 明治17年移住 青森山形秋田福島四県七十五戸
- 明治18年移住 鳥取熊本石川鹿児島佐賀五県四十五戸
- 明治19年移住 ?広島鳥取三県二十八戸
兵即農の碑。長い文章で江別の歴史が刻まれています。
兵即農の碑の裏側。年度別に移住者の名前が刻まれていました。
史跡 元 江別屯田公有地「飛烏山」、旧競馬場について
山頂付近にある説明看板。飛鳥山公園の由来と、旧競馬場についてなどの説明が書かれています。
史跡 元 江別屯田公有地「飛烏山」
野幌丘陵の先端部には、いくつもの古砂丘が形成されている。これらの丘は、古くから町の人々に親しまれて萩ケ岡(神社山)・坊主山などと呼ばれてきた。
飛烏山もそうした丘の一つで、明治二十年に屯田兵第三大将長として江別に着任した野崎貞次少佐により名付けられたと言われる。
かつてこの丘には、江別神社(現萩ケ岡)の前身であった飛鳥山神社が建立され、その神社祭に草競馬や催し物が行われていた。大正年間には、公園施設となり、町民の広場として親しまれてきた。
昭和三年には、正式の馬場が設けられ、地方競馬が行われていたが、九年に元江別の方へ移り、戦時中は町民の空襲避難所や家庭菜園に変わった。
昭和二十五年からは、運動公園として整備が進められ、野球場・陸上競技場・テニスコート・青年センターなどの施設が造られた。
現在、丘の上に江別屯田兵村開村記念碑や伊藤音次郎の歌碑などが建立され、花壇なども整備されて市民の憩いの場となっている。
平成二年九月 江別市教育委員会
この山には江別神社の前身「飛鳥山神社」があったんですね。
競馬場は現在の多目的広場(サッカー場)にあったと言われています。
飛烏山・山頂付近
飛烏山の山頂から見た風景。開村記念碑・兵即農の碑の他に、伊藤音次郎の歌碑が立っています。
伊藤音次郎 歌碑
歌碑には「石狩の原に 一すぢ雪のみち 晴れりや 馬橇の鈴が つづいた」と書かれています。
伊藤音次郎は、明治27年に江別兵村に生まれ、口語短歌の先達・歌壇最高の指導者と言われた人だそうです。
山頂からの眺め
低い山とはいえ、やはり山頂からの眺めは気持ちいいものがあります。
かつてはこの眼下に競馬場があって賑わっていたのかと思うと不思議な感じです。
間もなく日没という時間でしたが、公園内にはトレーニングを始める人達や、夕方の犬の散歩に来ている人たちなどで賑わっていました。
飛烏山公園の場所アクセス地図
住所:〒067-0002 北海道江別市緑町西2丁目11