江別市東光町の「泉の沼公園」北側の住宅地に、たいへん小さく地味な神社があります。
神社名が現地にも地図にも記載がないのですが、「玉姫稲荷神社(たまひめいなりじんじゃ)」という名称だそうです。
ちなみに、他Webサイトでは「泉の沼神社(いずみのぬまじんじゃ)」と紹介されている例がありますが誤りです。名称については本記事で後述します。
スポンサーリンク
もくじ
泉の沼公園の隣りにある「玉姫稲荷神社」訪問記
玉姫稲荷神社は、江別市東光町「泉の沼公園」の北側にあるたいへん小さな神社。
住宅に挟まれた位置にあるため、場所を知っていないとまず気付かないのではと思います。
しかも神社のシンボルとなる「鳥居」も無い!ので余計に分かりにくい。
上記2枚の写真は出入口正面を写したものですが、草木が生い茂っていて境内の姿も見えにくくなっています。
ちなみに、出入口正面は、神社の本殿の角度から察するに、北側が正面になると思われます。つまり泉の沼公園側は神社の裏側、となります。
神社境内
参道が草に埋もれて見えないのですが、灯籠や狛犬が置かれているので、この辺りが正面だろうという憶測で歩けます。
神社境内にあるものは、灯籠✕4つ(内1つは崩壊)、狛犬✕2、手水舎、本殿(拝殿)社となります。
境内には立派な松の木が植えられており、それを見ると神社の境内だなぁという雰囲気を感じます。
灯籠
一番手前に立つ灯籠。鉄筋がむき出しになるほどのボロボロな状態です。
上の部分はいつ崩壊してもおかしくない状況。
手前から二番目の灯籠。
こちらも鉄筋がむき出しの状態ですが、ボロボロなのは傘の部分で、その下と土台はまだ大丈夫な雰囲気です。
手水舎
石を削って造られた簡易な手水舎がありました。
子供でも使えるように低い設計にしたのかな?と思えるくらいたいへん小さいです。
おそらく長年使用されていないものと思われます。
狛狐(狛犬)
稲荷神社なので、狛犬の位置には狐(白狐)がいます。
左側の狐さん。巻物をくわえています。
耳と尻尾が壊れた状態で、ちょっと痛々しいですね。
右側の狐さん。こちらは玉をくわえています。
尻尾が根本からポッキリ折れているというかわいそうな状態。
この状態だと狐ではなく狛犬に見えますね。
大日本電力株式会社 江別火力発電所の文字
狛狐さんの土台部分には「大日本電力株式会社 江別火力発電所 江友會」という文字が彫られていました。
江別火力発電所との関係については後述します。
本殿横の灯籠
本殿左側、「献燈」と書かれた石。
石灯籠だったのだと思われますが、上の部分が完全に無くなっていました。
灯籠の側面に書かれた名前。
本殿右側の石灯籠。こちらは傘の部分も壊れず健在です。
灯籠の造りが全く違うことから、こちらの灯籠が古く、手前2基は新しいものなのでしょう。
灯籠の側面に記された名前。
灯籠の後ろ側に刻まれた建立日。「昭和十八年六月建之」と書かれていました。
社殿
神社境内中央の最奥には小さな社が建っています。
土台のコンクリートだけは作り変えたのか、かなり新しいものに見えます。
扉の部分が壊れてしまっているのか、中が見えてしまっている状態でした。
欄間には狐の彫刻がありました。状態はあまり良くありません。
本殿の後ろ側。小さいながらもしっかりとした反り屋根で細かく造られています。建立当時の心意気が伝わってくるようです。
神社境内からの眺め
神社境内から、出入口方向(北方向)を見た様子。
神社の状況から見るにほとんど管理されていないように感じます。
泉の沼公園側からの様子
泉の沼公園側(南側)から神社境内を見た様子。
最初はこちらが正面だと思いこんで訪問したのですが、社が後ろを向いていることに気が付き、あらためて住宅をぐるっと回って北側へ行ったのでした。
南側から神社境内に近づいてみた様子。
一応こちらからでも入れないことはありません。
手前には「江別市保存樹木」の札が立っていました。
江別市保存樹木 第72号 イチョウ
江別市保存樹木のプレート。
- 江別市保存樹木 第72号 平成18年3月8日指定
- 樹木名 イチョウ
- 所有者 西垣真吾
- 指定理由 泉家の先代が新潟から入植したおり、江別神社から分株して植えたオスの大木。
- 樹高 15m
- 直径 66cm
- 樹齢 推定80年
江別市保存樹木に指定されているイチョウの全体。実に見事な大木です。
「玉姫稲荷神社」とは何なのか?その由来と火力発電所との関係
今回ご紹介した「玉姫稲荷神社」ですが、この神社は地図にも掲載されていない上、神社名すら判然としません。
全国大手の神社紹介サイトですら「泉の沼神社」と紹介されてしまうほど、存在自体が謎の神社となっています。
私がこの神社の名前と由来を知ったのはほんの偶然のことでした。たまたま江別火力発電所の資料をあさっていた時に、この神社の存在が書籍内に掲載されていたのです。
掲載されていたのは「江別火力 半世紀の軌跡 江別発電所記念誌」(江別発電所記念誌編集委員会 平成3年3月発行)。
該当箇所を以下に引用します。
(5)夏の風物詩、玉姫稲荷祭り
昭和11年ころ、建設中の発電所敷地内に神社が建てられた。工事を請け負った清水組や逢沢組などが安全を祈願するため京都伏見稲荷神社から分霊をいただき、玉姫稲荷神社と名付けられた。建設工事は、当時の北海道では初めてという建設規模で技術者も多くは、大阪や尼崎火力の経験者が多かったことに由来している。
この玉姫稲荷は発電所の夏祭りの主役で、対雁グランドを舞台にモショッケ川には行灯、イルミネーションを飾るなど盛大なものだったという。江別神社と王子製紙㈱の末広神社祭とならんで江別三大祭りと呼ばれ親まれた。
戦時中は中断したが新発電所が建設されるまで続き、大運動会、石狩川を船で往復した海水浴、坊主山のスキー大会とともに、所員の大きなイベントであった。出典:江別火力 半世紀の軌跡 江別発電所記念誌 P.30 (江別発電所記念誌編集委員会 平成3年3月発行)
玉姫稲荷神社はもともと「建設中の発電所敷地内に」建てられたものでした。「江別神社と王子製紙㈱の末広神社祭とならんで江別三大祭りと呼ばれ親まれた」という文からも当時の賑わいが伝わってきます。
さて、ここには玉姫稲荷神社の顛末については書かれていないのですが、同ページに掲載されている写真に答えがありました。
写真とともに紹介された玉姫稲荷神社。
「江別市東光町泉の沼に移された玉姫稲荷神社」と書かれています。
移転した時期はいつか?なぜ東光町へ移転したのか?という理由については書かれていませんでした。
神社のお祭りは「新発電所が建設されるまで続き」とあります。新発電所建設のために坊主山の遺跡発掘調査が行われたのが1960年(昭和35年)なので、その時期に移転したと考えられます。
江別発電所が無くなってしまった今となっては存在理由を失ってしまった神社とも言えますが、江別の発展に寄与してきた歴史ある神社として末永く残ってほしいと願うばかりです。
玉姫稲荷神社の場所アクセス地図
住所:〒067-0023 北海道江別市東光町29−4