現在「週刊ヤングジャンプ」にて連載中、明治末期の北海道・樺太を舞台にした、金塊をめぐるサバイバルバトル漫画『ゴールデンカムイ』。
2020年の最新話(第234話~第237話)では、石狩川で外輪式蒸気船(外輪船)に乗って江別へ向かうという話が展開されています。
江別市民にとっては江別港や外輪船・上川丸の存在はよく知られています。
ゴールデンカムイに外輪式蒸気船が出てきたので、改めて聖地巡礼として現地「江別河川防災ステーション」へ行ってみました。
※ゴールデンカムイのネタバレが多分に含まれます。まだ最新話をお読みでない方はご注意ください。
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もくじ
ゴールデンカムイ上川丸と江別港を見に聖地巡礼!チョウザメが沢山いる?北海道江別市!
ゴールデンカムイ第234話では、江別に向かって石狩川を下っていく話が始まります。
漫画内に登場した外輪式蒸気船・上川丸。
白石の説明にもありましたが、両側の水車で水面を掻いて進むため浅い川でも進めます。また船底も平らになっているのが特徴です。
ところで冒頭「江別河川防災ステーション」の写真、お気づきになりましたでしょうか?
なんとこの道の駅のような建物の中には、ゴールデンカムイの杉元・アシリパ・白石・海賊房太郎らが乗船した「上川丸」があるのです。
外輪式蒸気船・上川丸(神川丸)
江別河川防災ステーションの中に入り、上を見上げると巨大な船・上川丸が!!!
平らな船底と側面についた水車が間近で見られます。
見上げると水車の構造がよく分かりますね。
ゴールデンカムイ第237話「水中息止め合戦」にて登場した水車の描写。
2階に上がる階段からも水車を横から観察することができます。
アシリパが寝ていた船内の様子。ゴールデンカムイの世界に迷い込んだかのようです。
外輪船側面のハシゴと階段。通路も階段もかなり細い造りとなっています。
階段を降りていく杉元。階段の細さ、窓の位置などが全く同じなのが分かります。
操舵室の様子も見ることができます。
上川丸正面。船名とロゴマークも漫画と同じです。
『石狩川の外輪船「上川丸」原寸大模型』の説明板。
航路の起終点は「札的内(現在の浦臼町)」「月形」「江別」「石狩」となっています。
石狩川流域の町や村を繋いだ外輪船「上川丸」
「上川丸」は4月から11月の間、石狩から札的内(浦臼)間を月に数回就航する定期便で農作物や日用品などの輸送だけでなく、人々の足としても活躍し、石狩川流域の人々の暮らしを長年支えてきました。
中でも、その中継地として発展したのが江別でした。
石狩から江別間の運行時間は、のぼり8時間、下り4時間で、乗船運賃は石狩江別の間が、並等で50銭(現在の2,000円相当)でした。働く人々が集まる春には、たくさんの人々で賑わい、江別港は石狩川の寄港地の中で最も多くの人々が利用していました。
この「上川丸」の活躍により、江別は大変な賑わいを見せていました。製造年 明治22年(1889)年
購入・進水 明治22年(1889)年8月
廃船 昭和10年(1935)年1月
定繋港 石狩国江別川
製造地名 東京石川島
製造者 株式会社石川島造船所
船の長さ 25m
船の幅 6.2m
深さ 1.1m
船の総トン数 60t
船の馬力 24.2(以後の手直しで67馬力を得る)
船の定員 約60名(推定値)
速力 約7.8ノット(推定値)
船員数 船長以下 約8名(推定値)
江別港について
石狩川・江別港を中心とした江別の歴史がわかる展示スペースもあります。
2020年4月22日現在、当面の間休止となっていました。
以下は以前に撮影した展示内容のものです。
明治末期から大正初期にかけての江別町・鳥瞰図。
図の手前が石狩川で、市街地の横を流れているのが千歳川となります。
外輪船が寄港していた「江別港」は、石狩川から千歳川へ少し入った市街地沿いにあったようです。
舟運(水運)の説明と、外輪船の写真。江別港に外輪船など多くの船が停泊する様子がわかります。
説明文全文は以下の通り。
明治14年、月形に樺戸集治監が設置されると、そこで使用する食料や日用品を運ぶため、石狩川の水運が重要性を帯びてきました。明治中期には両側に水車のような水かきがあり、船底が平らで特殊な蒸気船、外輪船が石狩川に就航活躍しました。江別から月形へは江別港を朝出航して途中の開拓地に寄港し日用雑貨や郵便物、乗客を乗せて夕方月形に到着しました。翌朝月形を出航し、水の流れに加速され昼頃には江別港に帰ってきました。
この航路が最も活気づくのは秋の収穫期で、雑穀を300俵も積み込んだ淀船を3~4隻も引っ張って江別港に入る上川丸は、当時江別の風物詩でありました。また、千歳、恵庭方面からも木炭を乗せた船がいきかいました。やがて鉄道や自動車が輸送機関の中心となり、石狩川の舟運も昭和10年の命令航路廃止を境に衰退しました。
江別港の位置はどこなのか
こちらたいへん分かりやすい江別港の位置を示した当時の地図です。
↓江別にお住まいではない方だとかなり分かりにくい図かもしれませんので、現在の位置が分かるよう注釈を入れてみました。
上川丸が展示されている江別河川防災ステーションが右上になります。
江別橋は今は無く、代わりに新江別橋(国道12号線)が千歳川の下流にできました。
地図南側が江別市街地となっています。
ちなみに新江別橋ができるまでは、江別橋~JR江別駅前が旧国道となっていました。
上記の地図の説明板も興味深いので引用します。
江別港・会社通り
手宮・幌内を結ぶ幌内鉄道の全線開業により、明治15年、江別駅が開業しました。このころになると開拓は石狩川に沿って内陸に進み、川と鉄道の中継地となった江別には多くの人が集まり、商業都市として発展しました。石狩・月形を一日置きに往復する定期船「上川丸」や「空知丸」が運ぶ石狩川沿村の農産物は江別港に荷揚げされ、鉄道で札幌・小樽へと輸送されました。
江別川の川岸には雑穀倉庫が立ち並び、会社通りや駅前通りには雑穀商や呉服店、雑貨店、旅館、病院などが軒を連ね、右岸には製材工場や造船所が造られました。江別が、「母なる川・石狩川」からの恩恵を最も受けていたと思われる時代です。
このジオラマは、明治44年に撮影された街の全景写真と当時の古写真などを参考にして、明治末期から大正初期にかけての江別港と会社通りの様子を想像復元したものです。
こちらが説明文にあった「明治末期から大正初期にかけての江別港と会社通りの様子」のジオラマ。
千歳川の当時の賑わいと江別港の様子がよくわかります。
手前に国鉄(現・JR北海道)の線路、中央が江別橋(旧国道)、左奥が江別市街地、市街地の川沿いに江別港があります。
江別河川防災ステーションが立つことになる場所は、写真右下あたりですね。
かつてこの千歳川沿いには人車軌道(人力軌道)もあり、荷揚げされた農産物等を鉄道に運び入れていたそうです。
明治44年の江別橋の様子。左岸が江別市街地と江別港、右岸にも多くの船があるのが見えます。
現在の江別港を見に行く
江別河川防災ステーションの外に出ると、小さな停泊所があります。
一見ここが旧江別港と思われますが、外輪船の乗り降りをした港はこの対岸。
写真でいうとちょうど対岸の写真中央付近か、やや右手あたりでしょうか。
江別河川防災ステーション前の停泊所近影。小さなボートが泊まっています。
現在も江別特産のヤツメウナギ漁が行われているようですが、ここから出港するのでしょうか。
ということで、江別河川防災ステーションの対岸にやって来ました。
ちなみに私が今立っている場所はかつて「江別橋」が架かっていた場所です。そんな面影は一切残っていません。
かつて江別港があったとされる跡地を撮影。護岸のせいもあってかつての港の跡は全く分かりませんでした。
しかしここには江別港に船が来ていたことを示す標柱が立っています。
「史跡 石狩川汽船 江別の水運と倉庫群」とあります。バックに残るのはかつての貴重な倉庫群です。
レンガ積み、石積み両方があるのがたまらないですね。
江別港跡地の裏側「会社通り」には、その名も「外輪船」と付けられたアートスペースがあります。
この会社通りを含む江別市街には、古く貴重な建物が多く残っているので、ゴールデンカムイの聖地巡礼と共にぜひ見て回ってほしいエリアです。
というわけで、ゴールデンカムイ江別編突入記念として、漫画内に出てきた「上川丸」と「江別港」についてでした。
江別の由来はチョウザメ?
ところで、ゴールデンカムイ第237話「水中息止め合戦」では、石狩川にチョウザメの大群が押し寄せる場面が出てきます。
また、237話の最後にはこうあります。
当時の石狩川はチョウザメが群れで遡上したという
江別という地名はアイヌ語のユペ・オッ「チョウザメが沢山いる」から由来した説がある引用元:ゴールデンカムイ 第237話「水中息止め合戦」より
江別の由来は諸説ありますが、石狩川にチョウザメが多くいたのは事実のようです。
江別市郷土資料館にはチョウザメの剥製が展示されているとのことです。
今は絶滅種となってしまっているチョウザメですが、現在も大群が遡上していたらとんでもない特産になっていたかもしれませんね。
市名の由来
以下はWikipediaによる江別市の市名の由来一覧です。かなり多くの説があるようですね。
アイヌ語(カタカナ表記) | アイヌ語(ラテン翻字) | 意味 | 由来 |
イエペッ | ye-pet | 膿汁の・川 | 「膿のように濁った川」を意味する。 |
イペオッ | ipe-ot | 魚・たくさんいる | |
イプッ | i-put | それの・入り口 | 大事なところへの入り口。当時文化の中心地であった千歳への入口を意味するとされる。 |
エペッケ | e-petke | 顔・裂けている | 幕末にこの地を訪れた松浦武四郎が記録した民間語源。 ウサギの顔のように3つに分かれている所を意味する。アイヌ語では通常ウサギのことを「イセポ」(isepo)と呼ぶが、これを畑で用いるとウサギが作物を荒らすとされるため、畑では忌み言葉として「エペッケ」が用いられる。 |
ユペオッ | yupe-ot | チョウザメ・たくさんいる | 永田方正による。 |
ユペオッ | yupe-ot | 温泉の水が流れ込む川 | 硫黄の流れ込む川に由来する解釈。 |
ユペッ | yu-pet | 温泉の川 | 硫黄の流れ込む川に由来する解釈。 |
Wikipedia「江別市」より引用
おまけ
江別港の写真を撮っている最中、キタキツネに出会いました。
道民としては珍しくもなんともないのですが、やはり出会うとちょっとうれしい気分になります。
もちろん餌を与えたり触れたりしてはいけません~。
江別河川防災ステーションの場所アクセス地図
住所:〒067-0000 北海道江別市大川通6