江別市工栄町にある「榎本公園」。江別市の外れの工場地帯にある地味な公園ですが、「江別発祥の地」という歴史的な意味でとても重要な場所です。
この場所はもともと「対雁(ついしかり)」と呼ばれており、2020年1月に発表された直木賞受賞作『熱源(川越宗一著)』の舞台にもなっている話題の地でもあります。
近代・江別市の発祥の地「榎本公園」とはどんな場所なのか、詳しくリポートします。
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もくじ
江別発祥の地「対雁番屋・駅逓」跡地の「榎本公園」[江別市工栄町]
榎本公園の出入口脇には、「史跡 対雁番屋・駅逓 江別発祥の地」と書かれた標柱と説明板が立っています。
史跡 津石狩(対雁)番屋
対雁(ついしかり)はもともと「津石狩」という表記だったようです。この意味として、榎本公園一帯がかつて豊平川が石狩川へと合流する水運の要衝(津=港)だったことで付いたようです。
※かつての豊平川は現在と流路が異なっています。
説明板には以下のように書かれています。
いまから二百七十年ほど前(享保年間)、世田豊平川河口に石狩十三場所の一つとして商場が開かれ、その後番屋が設けられ鮭漁と内陸水路交通の要点として発展した。
千八百六十八年(慶応四年)に立花由松が江別最初の和人として定住した。明治四年には宮城県から七十六人が入植し、九年には樺太(サハリン)に住む八百五十四人のアイヌが移住させられた。これにより学校や製網所が作られるなど対雁はにぎわい、十二年に駅逓所、十三年に対雁・江別両村戸長役場が置かれた。
しかし、十五年の鉄道開業により人の流れが江別・野幌に移り、十九・二十年にはコレラの流行により三百人以上の病死者を出す大惨事にみまわれ、対雁は衰退をはじめた。
駅逓所は十八年に廃止となり、十九年には戸長役場と郵便局が江別村に移転した。
駅逓の入り口に植えられた赤松は、駅逓の松として親しまれ、現在は石狩川の河川敷地になった旧対雁市街の繁栄をしのばせていたが、老枯して今はない。平成二年九月 江別市教育委員会
この対雁の歴史は、直木賞受賞作『熱源』の話に出てくる部分ですね。
ちなみにこの難読地名の対雁(ツイシカリ)は、北海道公式サイトではアイヌ語由来となっていて、語源は「トイシカラ(回流沼)」もしくは「トエシカリ(沼が・そこで・回る)」、「野津幌(のっぽろ)川と厚別川の間にあった沼が、清水を湧出し回流していたため」という解釈となっています。
参考:アイヌ政策推進局アイヌ政策課・アイヌ語地名リスト/北海道公式サイト
榎本公園内の風景
公園自体はそこまで広くはないですが、立派な樹木が多く生えています。
また桜の木も意外に多く、お花見の穴場スポットらしいです。
公園の奥に進むと仮設トイレがあり、右手奥には榎本公園の名前の由来にもなっている「榎本武揚像」があります。
榎本武揚顕彰碑
榎本武揚顕彰碑。レンガ敷きに立派な石積みの塔が立ち、その頂上に馬に乗った榎本武揚像があります。
人と馬の大きさの比率から、道産子ではと言われています。
土台は珍しい星型。かなり凝っています。函館の五稜郭を意味しているのでしょうか。
道産子に乗った榎本武揚像。上の方にあるため肉眼だとちょっと見えにくいです。
若干角度を変えて見た榎本武揚像。
土台に付いた「榎本武揚顕彰碑」の文字と説明板。
説明板には以下のように書かれています。
対雁は、黎明日本の明治政府における要職を歴任した「榎本武揚」が、北海道開拓の雄志を託し、農場を開いたゆかりの地であり、江別市発祥の地である。
これらの史実を永く後世の人々に伝える記念とするため、対雁住民の総意をこめて榎本武揚顕彰碑を建立する。榎本公園建設期成会
昭和四十五年六月建之
題字 北海道知事 町村金五
制作 彫刻家 佐藤忠良
対雁百年碑
榎本武揚像のちょうど向かい側の奥に、「対雁百年碑」があります。
石積みの壁もついた豪華な記念碑。
「對雁百年碑 町村金五書」とあります。この碑の中には、かつてこの地にあった対雁神社の御神体である自然石が埋め込まれているとのことです。
対雁百年碑の説明板には以下のように書かれています。
由来 本碑ハ弘化三年場所請負人山田文右衛門小祉ヲ建立弁財天ヲ祀ル 神体長サニ尺三寸極状ヲナス
翠色天然石文右衛門ノ曳網ニカカル事三度ニ及ビ神明ノ致ス所トシテ対雁豊平川口ノ小祉ニ祀ル 是対雁神社ノ前身ナリ
超エテ明治四年四月宮城県涌谷領農民二十一戸七十六人来住対雁村トナル 次デ同九年七月南樺太アイヌ百二十七戸八百五十四人移住 係開拓使八等出仕上野正ノ発意ニヨリ小祉ヲ修復鳥居ヲ新営シテ対雁神社トナス
一方角山ノ移住者相諮リ 同三十七年角山神社ヲ創立天照大神ヲ祀リ来タリシガ 昭和四十六年九月倶ニ国営治水工事ノ為ニ社ヲ解体 神体ヲ本碑内ニ奉置シ以テ永遠ニ之ヲ伝エントス昭和四十六年九月十日
碑書 江別市長 山田利雄
撰文 新館長次
主に対雁神社のことについて書かれているようです。碑内に御神体が入っていること、豊平川の治水工事によって社を解体した旨が分かります。
ちなみに百年碑の意味は、1871年(明治4年)に宮城県からの入植者たちによって対雁村が開かれてから100年経過した1971年(昭和46年)建立、ということだそうです。
ちなみに榎本公園の向かい側にはヤンマーアグリジャパンの大きな工場が広がっていました。
このあたり「江別市工栄町」は工業地域となっていて、民家が全くありません。
そのため夜間は真っ暗闇となりますので、訪問する際は昼間の明るいうちに来ることをおすすめします。
榎本公園の場所アクセス地図
住所:〒067-0051 北海道江別市工栄町