江別市王子にある道内最古の製紙工場『王子エフテックス江別工場(旧 王子製紙)』にはかつて、JR江別駅から延びていた貨物専用鉄道『王子製紙江別工場専用線』という引込線がありました。
この専用線は1986年(昭和61年)に廃止となっており、2021年の今年で35年の月日が経過しています。
それだけの月日が流れても、鉄道という巨大インフラの跡地というものは痕跡が残ることが多く、江別駅~王子エフテックス江別工場間にもその痕跡があちこちに残っています。
となると、工場内にもその痕跡が多く残されているに違いありません!が、工場内に一般人が入ることは許されません。
ところが2021年11月、江別の駄話ラジオ「ブリックレディオ」にて、王子エフテックス江別工場の大野工場長との対談が実現。
当「えべナビ」はブリックレディオのMCである龍田さんに無理を言って工場へ同行させて頂くことになり、そして大野工場長のご厚意により工場内の廃線跡も見学させて頂くことができました!
王子製紙江別工場専用線廃止後の線路跡が世に出るのは史上初かもしれません。
明治時代に敷設された王子専用鉄道の「今」をリポートします。
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もくじ
王子製紙江別工場専用線(現・王子エフテックス)について
王子製紙江別工場専用線の歴史
王子製紙江別工場専用路線のおおまかな歴史は以下のとおりです。
- 1882年(明治15年)11月13日 - 江別駅開業
- 1907年(明治40年) - 富士製紙第五工場(後の王子製紙江別工場)専用線敷設
- 1908年(明治41年)11月 - 富士製紙第五工場として「江別工場」操業開始。
- 1909年(明治42年)2月 - 富士製紙第五工場専用鉄道、運用開始
- 1986年(昭和61年)5月6日 - 王子製紙江別工場(現在の王子エフテックス江別工場)専用鉄道が廃止
函館本線・江別駅の開業から27年後に、工場への専用線が運用を開始しています。
明治から昭和の終わりまで77年間に渡り活用された歴史の長い貨物専用線でした。
1976年の航空写真から見た王子製紙江別工場専用線
1976年(昭和51年)頃の江別地区周辺の航空写真。
写真上部に王子製紙江別工場が広がっており、条丁目地区の住宅地を挟んで、写真下部に国鉄・江別駅が横切っている様子がわかります。
王子製紙江別工場専用線は、江別駅の現4番ホームからつながっていたそうです。
航空写真からは専用線の線路が駅から工場へ延びている様子が確認できます。
雑で申し訳ないのですが、駅から工場内へ続く専用鉄道を赤色でなぞってみました。
専用線のルートは、江別駅から西へ進み、現在ある踏切の手前で右にカーブし、旧江別小学校の西側に沿って北上、一番町自治会館あたりで右へカーブして旧国道12号を渡り、現在のガソリンスタンド裏手を通って道路(現・国道12号)を横切って、そこから江別工場へ直進していました。
国道・市道などで6箇所の踏切・遮断器があり、そのうち3箇所には信号機も設置されていたとのことです。
昔この付近にお住まいだった方は、各所で踏切があったことを覚えておいでかもしれません。
ちなみに、この航空写真(1976年)当時は国道は江別駅前を通っていた時期です。この後、王子製紙寄りに国道が移ることになるのですが、現在の国道12号の8条8丁目付近の道路が歪んでいる理由は、王子製紙専用鉄道と交差していたからということが、この地図からも分かります。
一般人が辿れる王子製紙江別工場専用線廃線跡の限界地点
こちらは道道1056号沿いの江別工場フェンス。
江別駅から単線で続く線路は、このフェンス手前で3方向へ分岐し、工場内へ向けて延びていました。
その廃線跡を示す鉄骨の扉が3つ、現在でも残されています。
こちらが廃線跡の扉。一般人が辿れる王子専用線の廃線跡はここが終点となってしまいます。
しかしかつて、線路はこの奥へと縦横無尽に延びていました!
工場内の廃線跡地は現在どうなっているのか?その現状をリポートします。
王子製紙江別工場専用鉄道 廃線跡の痕跡を探す!
今回拝見させた頂いた廃線跡を地図(1976年)に示してみました。
A地点~G地点の順に巡り、それぞれの場所で線路の痕跡を探します。
A地点
A地点より南西方向(道道1056号方向)を見たところ。
アスファルトが途中で途切れていますが、このアスファルトの手前辺りまで留置線の線路がありました。
左側にもかつて側線が延びていて、その線路は川沿いへ延びていたようです。
この雑草地帯が廃線跡です。フェンスの先はこのようになっていたのかと感動を抑えられません。
線路跡が残っていなくても、「かつてここに線路があった」という事実に心が震えます。
A地点を南西方向へ歩を進めます。左側の雑草地帯が廃線跡。
B地点
B地点より南方向(道道1056号方向)を見たところ。
道道1056号手前から3本に分かれる内の中央の線路跡になります。
この線路は北方向へカーブして工場内に延びていました。
うっすらとですが線路跡があった跡が見えます。
B地点から北方向をみたところ。
この少し奥にさらに分岐ポイントが有り、線路が2方向へ分かれて北西方向へカーブしていました。
C地点
C地点の廃線跡。
道道1056号から3方向へ分岐した内の外側、道路沿いにカーブして北西方向へ延びていた部分です。
写真左手の草地が廃線跡です。
D地点
D地点にあるカマボコ型の倉庫。この倉庫の右側面に線路が延びていました。
倉庫の右側面部分には、なんと貨物ホームが残されていました!これはすごい!
倉庫脇の貨物ホーム跡。鉄道があった頃から残っている貴重な遺構ですね。
ホーム跡の終点。車止めのようなものが立っています。
車止め付近から貨物ホーム跡を振り返る。
今まさに貨物列車が入ってくるような雰囲気さえあります。
貨物ホームが途絶えた先の方にも、予備?の貨物ホームが残されていました。
かまぼこ屋根の倉庫全体を、北側から南東方向に見たところ。
このような貴重な鉄道遺産は鉄道記念物として今後も残ってくれれば良いのですが…。
江別の鉄道の歴史を存分に感じる遺構ですね。
E地点
王子エフテックス江別工場の正面入口付近となるE地点。
この交差点の奥に、かつて線路が横切っていました。
交差点から北西方向を見る。
現在様々な構造物が建っていて廃線跡の痕跡は分かりませんが、写真中央の芝生部分、手前から奥へ向けて線路が走っていました。
かつてはこの道路の手前辺りに分岐ポイントがあって、正面奥へ真っ直ぐ続く線路と、右方向(北方向)へカーブする線路に分かれていたようです。
E地点から南東方向を見たところ。
線路跡とおぼしき芝生が続いています。
この辺りに北西方向の分岐と、南東方向へ分岐する2つのポイントがありました。
F地点
F地点から南東方向をみたとこ。
この芝生部分にも線路が延びていました。
道道1056号から3つに分岐したうちの中央の線路は、この写真奥の辺りをカーブして入ってきて、北西方向へ直進していました。
F地点から北西方向を見たところ。
線路が敷設されていた頃は、写真右側の建屋は無く、その部分には留置線がありました。
この芝生の部分にかつては線路が通っていたわけですね。
バラストも残っていないので、線路が通っていたとは思えない雰囲気ではあります。
G地点
G地点から北西方向を見たところ。何かの建屋が建っています。
実はここにも線路が通っていて、中央のシャッター奥へ線路が続いていたとのことです。これは驚きです!
この線路はどこから続いていたかと言うと、道道1056号で3方向へ分岐した内の中央の線路。その中央の線路はB地点でさらにF地点方向・G地点方向に分岐していました。
つまりB地点から左へ分岐した線路がこの建屋の中へ続いていたことになります。
かつてこのシャッターの奥へと線路が続いていたという…。説明がなければまず気が付かないですね。
下の砂利はかつてのバラストの跡?でなないとは思いますが、そう思うと興奮度が高まります。
この扉の部分も重要な鉄道遺産と言えるかも知れません。
ちなみにシャッター下部のコンクリートは後から改修していて、昔は地面部分に線路が敷設されていたとのことです。
まとめ
以上、王子エフテックス江別工場内に残る廃線跡の現状リポートでした。
工場内の鉄路は近代に近づくにつれ縮小されていったようで、どの線区がいつからいつまで使用されていたのかは分かりませんが、北海道の鉄道黎明期から昭和の終わりまで77年間続いた貨物専用線の歴史の一端を見ることが出来ました。
正直なところ、鉄道跡と分かる遺構は何も残っていないのではと思っていたのですが、まさかホーム跡などの遺構が残されていたのは本当に驚きでした。
江別村・江別町・江別市の発展に寄与してきた王子さんの歴史の重さを感じずにいられません。
今回取材にご協力頂いた大野直孝工場長、ならびに王子エフテックス江別工場の皆様、ありがとうございました。
また、今回の機会を作って頂いた龍田昌樹さん、ヤマザキケイタロウさん、三ツ井瑞恵さんには大変お世話になりました。この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。