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DJ社長、龍田昌樹さん超ロング・インタビュー!賑やかだった条丁目の思い出話70's-80's【江別の達人Vol.1】

龍田昌樹

江別の著名な方にお話を伺うインタビュー企画『江別の達人』。記念すべき第一回目は、株式会社龍田工務店の社長・龍田昌樹(たつたまさき)さんにご登場いただきました。アイディアマンである社長の多岐に渡る活動や、普段の江別の楽しみ方、条丁目が賑わっていた頃の懐かしい思い出話などをたっぷり聞いてきました!

『江別の達人』とは?

「江別の達人」は、江別在住または江別にゆかりのある方へお話を伺う「えべナビ!」のインタビュー企画です。江別での現在の活動から、江別にまつわる歴史や思い出話、未来の展望などをお聞きし、江別の楽しさ素晴らしさを再発見します!

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創業66年 龍田工務店の四代目社長

龍田工務店 社長室 龍田昌樹社長

レコード・ガンプラ・DJターンテーブルなど趣味全開の社長室

創業1958年(昭和33年)、江別市の公共事業を中心に一般家庭から大規模施設、浄水場や処理場、管路など上・下水道に関わる全ての総合的な施工と維持管理をする龍田工務店の四代目社長である龍田昌樹(たつたまさき)さん。お仕事では、私たち市民が安心して生活するために必要不可欠な水道を守ってくれています。

「江別の人たちが地域密着で暮らしてくれているから仕事ができると思っているので、地域に何ができるかを考えている」とPTA役員を引き受けたり、保護司の活動もされています。仕事以外の地域活動にも龍田さんは積極的です。

龍田工務店が創業60周年を迎えた時には社内の関係者だけで式典をするのではなく、60周年記念のロゴを作り、そのロゴで焼き印を作り、ほっぺぱん、ノースライブコーヒー、Le Calme (ル・カルム)、ちよじ屋に焼印入りの特注品を発注し、品物を従業員に配りました。パン屋では1日限りのコラボ商品を販売し龍田さんのユニークな取り組みが話題となりました。

江別青年会議所で活動していた時には、B級グルメブームを取り入れた食のイベント「エベワングランプリ」を企画します。青年会議所の枠を超え市内の飲食店や農業青年部など江別全体を巻き込こんで開催され、2日間で約4万6千人を集め大盛況でした。

「自分は地元愛がことさら強い方だと思う。じゃあ、その地元の愛ってなんなのかっていうと、子どもの頃からの行動範囲の中のものを守ろうとしているんだと思うんだよね。」

 

桜木紫乃さんの小説に度々登場「フレンチレストランbistro EDONA(ビストロ エドナ)」のオーナー

ビストロエドナ新店舗内客席

高砂駅前に移転オープンした新生ビストロエドナ店内

龍田さんは、建設会社の他にもフレンチレストランbistro EDONA(ビストロ エドナ)を営みます。
江別駅前にあったEDONA は、2022年2月の大雪に見舞われ建物が倒壊してしまい、急遽EBRIで出店を開始。駅前の同じ場所で再開したいと動いていましたが、ここ2年の間に野幌・江別の土地の価格が急激に上昇するなど様々な難問を抱え断念。ゆくゆくは夫婦2人で店を回せるような規模感でと店舗を探し、2024年2月、JR高砂駅前に新たな姿で再開しました。

このEDONAにまつわる奮闘エピソードは、小説家・桜木紫乃さんの新刊(※1)に書かれています!ご存じの方も多いと思いますが、EDONAは以前も桜木紫乃さんの著書『砂上』のモデルとして登場しています。

「桜木紫乃さんの新刊で、『今度は名前使ってないからいいでしょ』って連絡がきて、駅前のビストロが雪で潰れて、その店のシェフを支えて地元の土建屋のオーナーが出資をして、新しい建物を建ててその一階に入ることが決まったっていう。当時の思惑をそのまま題材に使ってるのさ。」

細かいところまで全部ネタを提供してるんだと龍田さんは笑っていましたが、小説の中でエドナのある風景が永遠に残るなんて・・・と胸が熱くなりますね。

※1:[PR]桜木紫乃著『谷から来た女(Amazon)』文藝春秋 2024年06月10日発売

 

自宅の隣に会社があった。幼稚園の頃の思い出

昭和50年代 龍田昌樹

龍田社長の幼い頃の写真 旧自宅前で撮影

龍田さんが通っていた江別大谷幼稚園は、昭和29年に江別で初めての仏教精神を基盤とした幼児教育施設として開園した幼稚園です。「ついこの間、園児たちが着物を着て行進して、おとなしく歩いてるなって可哀想にって思った。俺、すごく嫌だったもん」と江別大谷幼稚園の花まつりの稚児(ちご)姿の写真を見せてくれる龍田さん。お釈迦さまの誕生日を祝う花まつりにせっかく華やかな衣装を着せてもらっているのに不貞腐れ顔です。

「親父が競馬が好きで馬主までやった。一頭目は共同出資でタツノアサギリっていう馬、次に個人出資で買った馬がタツノマサキ。俺がちょうど幼稚園の年長で、その時、俺の幼稚園の運動会が前哨戦だって、出資者のみなさんが来て、背広姿の人たちがズラーって並んで、タツノマサキが走る前に龍田昌樹が走るぞって。足が遅かったから俺はゲレッパだった(笑)」

そういえば、戦前には飛鳥山に競馬場があったという歴史が江別にありましたよね。

 

「これは自宅の前の写真。隣が会社だったんだよね。いつも会社の道具で遊んでいて、ペンキで親父のセドリックに絵を描いちゃって、めっちゃ怒られた。奥にある物置に入れられて鍵を閉められて真っ暗で、小さいながらに覚えてる。俺のばあちゃんは、子どもの手が届くところに置いておくのが悪いんだよってかばってくれたけどね。」

車のいたずら書きは、ペンキが乾いてから従業員のみなさんが4〜5人がかりで割り箸の裏で削ってキレイにしてくれたそうです。

幼い頃から、従業員とも家族ぐるみの関係性で働く姿を見て育ってきました。現在も龍田工務店で働く半分以上の社員が、昔からずっと働いてくれているベテランの職人さん達です。龍田さんが社長になって「高齢化で皆さんの体力や健康のことが心配だった」と月給制・週休二日制を取り入れ、働き方改革をしました。

「自分も休みたいしね」と、龍田さんは休みの日にはマラソンにカヌーにソロキャンプと多趣味です。

 

空が広く見える江別の風景が好き

美原大橋と石狩川

美原大橋と石狩川

「マラソンを走る時には、自宅を出て豊幌の方に行くんだ。防災ステーションを超えたあたりから12号線はずーっと信号がなくて走り続けられる。」江別のランドマークでもある美原大橋の景色がすごく好きだと教えてくれました。

「渡り鳥がV字で飛んでたりとか、めっちゃきれいな虹が見えたりとか、夕焼けがすごくきれいだったりとか、視界を妨げるものがないから雲も大きく見えたり。」

仕事ではパソコンやスマホを使うため近い範囲で目線が狭められる時間が多くなってしまいます。目をいたわる事も考えて、なるべく自然を見るように心がけているという龍田さん。

「スマホとか見ない時間を増やしたいと思っていて、カヌーだったり、登山だったり、マラソンも遠くを見ることができる環境に身を置いて景色楽しむ時間をつくってバランスとっているんだと思う。」

仕事をするにも札幌や空港に近く、自然に触れて遊べる場所に行くにも高速道路にすぐ乗れる、江別は距離感がちょうどいいのだと言います。

「イオンの駐車場の屋上行ってみて!12号線側の方を見ると遮るものがないからいい景色が見えるよ」と市内の誰でも行ける絶景ポイントも教えてくれました。

 

親父の影響と音楽の話し

中学生時代の龍田昌樹社長

文化祭でギターを披露する中学生時代の龍田昌樹社長

お父さまから影響を受けた音楽はずっと大好きなもののひとつで、幼い頃からギターを弾いていたという龍田社長。

「うちの父親がバンドやってたから、楽器は全部親父が買ったもの。親父がずっと自宅でベンチャーズとかビートルズをかけながらそれをコピーしてるのを聞いてた。デケデケデケデケデケって6年生の時に弾けたから!」

41mhz「NO FOR ONE」

龍田社長がリリースしたCDアルバム

そして小学校6年生の時にクラスのレクリエーションの会で禁じられた遊びをクラッシックギターで演奏したのだそうです。龍田さん自身も中学、高校、大学と20代後半にもバンドをやっていて「2000年にはアルバムを出してる」と幻のCDを披露してくれました。

龍田昌樹社長

D Jは大学生の後半からやるようになり「このアナログレコードのコレクションは19歳くらいから買い始めた。イオンの中にある玉光堂に普通にレコードが並んでた時代だよ。DJは結局ずっとやってるんだよね」と、今も音楽好きの仲間と「江別にクラブがないなら、自分たちでやろう」と大人から子どもまで気軽に楽しめるピースフルで、ノンジャンルのDJパーティBrick Party を不定期に開催しています。

DJプレイ

江別蔦屋書店で開催されたBrick PartyでDJをする龍田社長

 

活気あふれる遊興のまち「条丁目」が賑わっていた頃

江別条丁目パブ・スナックビル

「条丁目の一つのターニングポイントになったと思うのが、王子製紙が外国産のパルプを使わなきゃいけないってことになってきたり、北電も火力発電所を閉じて別の地域にいくってことになって、江別地区を取り巻く環境が変わっていったんだよね」

龍田さんが幼い頃は、王子製紙がとてつもなく元気な時代で、従業員やその家族など多くの人の暮らしがありました。

「その購買意欲が王子サービスセンターのみならず条丁目の方にも流れてきてた。寿司屋だけでも5・6軒あって飲食店も盛んだったし、五条会館とかスナックが何件も連なっているゾーンが3・4カ所あって王子に近いところにもあった。どこも常に混んでた。」

明治時代より「川の港町」から「鉄道の町」として発展してきた条丁目界隈では、慰安や娯楽の為の施設もできていき、劇場や貸座敷、料亭に飲み屋などが並びました。

「うちの母親と父親も白樺という料亭で出会ったの。母親は助手さんで働いていて、父親はそこに遊びに行ってた。店とずっと家族ぐるみの付き合いしてたから俺も一緒に行ってた。居間にでっかい金庫があって、そこにでっかいソロバンがあって、ソロバンをザーッと転がして遊んでた。王子の工場長や役員、政治家が遊びに来る場所に子どもがいたら、どうした?誰の息子よ?みたいな感じになるでしょ、龍田さんの息子だよみたいな話になってさ。」

龍田さんが大人になって江別の重鎮たちと顔を合わせた時に「お前、白樺にいた子どもだろ」と覚えててくれてる人たちが何名かいたのだそうです。「そういう感じだからホステスにもモテてたんだよ。それで今も子どもの時の思い出・・・あの世界を回収しにモテに行きたくなる」と笑います。

 

街のみんなが顔見知りの商店街、王子サービスセンター、国鉄の購買

江別の本町通りにあった王子サービスセンター・王子店(7条7丁目)は、条丁目界隈では「唯一大きいお店だなと思った」という王子の社員向けのスーパーマーケット。

他にも「今の交番の裏ぐらいに国鉄の購買があって、そこに野菜とか果物とかを母親が買いに行ったりして、魚がなかったから、魚は中央通りまで行って「アカハチ(赤八巻?)」とか「高松」っていうところで買ってた。」

中央通りにも本町通りにも商店街があって、徒歩や自転車で行ける範囲に個人商店のお店がいっぱいありました。プラモデルやラジコンに夢中だった小学生の頃は「近所には梅村模型屋、今のファミリーマートのあたりに北海模型っていう模型屋さんがあって、店主がうちの親父の高校の時の同級生だったらしくて、ガンプラを取っておいたりしてもらっていた。梅村さんも俺がちょくちょく文房具買いに行くから近所だって知っていて、ガンプラ好きなのも分かってるから、『今日、帰り寄りなさい』って声をかけてくれて、行くと奥から段ボール出してくれて『ほら先に選びな』って見せてくれたの。大型店ではできないサービスだよね。」

その他にも近所には、おもちゃを売っているお店が松尾商店ともう一つあり、「毎日遊ぶ場所には全く困らなかったし、自分の欲しい物のリストは、全部自分たちの周りで構成されてた。」

バッティングセンターの向かいにある古石さんという電器屋さんは、昔は条丁目にあったのだそうです。

「電器屋さんのディスプレイに飾られてあるコンポが自分の中で一番欲しい物になるわけ。カタログ見てとか宣伝してる物とかじゃなくて、手の届く範囲にある物が自分の世界の全てだった。ほら、すげーいいぞってセールストークも受けちゃうから。世界で一番かっこよく見えてる。古石さんが親父と友達で、ソニーの特約店だったから我が家にはソニー製品があふれてた。」

龍田さんが地元商店っていいなと思っていたエピソードは他にもあります。おばあさまに洋菓子のニシムラでユカたんを買うように頼まれた龍田さん。
「個数分のお金が足りなかった。そしたら龍田さんでしょ、つけとくよって言われて買ってこれたの。その後、母親がお金を払いに行ってたけど、それは子どもだからちょっと錯覚するよね。お金を持ってなくてもいいんだって」と楽しい時代で夢の世界のようだったと当時を思い出してくれました。

近所にはパチンコ屋が3軒、ゲームセンターもありました。夕ご飯の時間になると母親から「お父さんを探してきて」と言われ、「家族を探しに行くって言ったら、パチンコ屋を回って、パチンコ屋の店員さんも俺のこと分かってて、あっちにいるよって教えてくれた。」
ご近所同士が顔見知りな時代だからこその特権や、地域全体で子どもを見守るような時代の中で育てられてきたんですね。

 

1978年のニチイ・ヨーカドーショック

ニチイ江別店

出典:えべつ昭和史 p.437

ところが、盛んだった商店街が衰退し始めます。

「小学2、3年生ぐらいかな、どんどん様変わりし始めてきちゃった。」

そのきっかけとなったのが、龍田さん曰く、ニチイ・ヨーカードーショック!!1978年にニチイ江別店、イトーヨーカドー江別店の2店舗がオープンしました。大型台風のようだったと龍田さんは語ります。

大型商業施設が進出してきたことで、次第に江別・条丁目地区の商店街の店じまいが続き、倒産・廃業が増え始め、王子サービスセンターも1987年に休業となり衰退が加速しました。この頃から条丁目の商店街は「シャッター通り」と呼ばれるようになったのだそうです。

 

心に残り続ける条丁目のにぎわい

龍田昌樹社長

江別での一番の思い出の場所は?と質問すると「俺の家の近所」と即答。

「今はもう閉店してないけど、八里九里家(やりくりや)の隣に梅の湯っていう銭湯があって、友達と一緒にお風呂入った後に八里九里家でラーメン食ったり、カツカレー食ったりして、その後に近所の公園みたいなところで座ってペチャペチャ喋って帰るっていうさ、せいぜい9時ぐらいなんだけど、このちょっとした夜遊びが最高楽しかったね」

お風呂のお湯が熱いからと、ジャージャー水入れて知らないおじさんに怒られる。水風呂に頭まで入ったら、汚いからやめろとまた怒られる。

「そういう中で、公衆浴場でしちゃいけないことも勉強させられるわけさ。シャンプーの貸し借りがあったり、シェービングフォームをちょっと貸しくれとか言うじいさんがいたりとかさ、そういうのがよかったんだよ」

普段からバイタリティある街並みの中で、さらに年に何回もお祭りがありました。

「王子のお祭りに江別祭りや江別神社の例大祭だなんだと、とにかくあの狭い地域にとんでもない数の人が集まって湧き立つの。それを自宅の目の前でやられるとお祭り男になっちゃうじゃん。人が集まった先にある楽しい空間みたいなのを経験してるからさ。お祭りの特別な高揚感みたいなのが大好き。」

だから今もみんな集めて何かを催すということが大好きなんですね!

「何もないところに来いって言っても来ないから、きっかけさえ作ればいいだけなんだなっていうのは自分の経験でわかっているから、そこからあの雰囲気を作り出したいみたいな感じ。」

 

これからの江別、各々の世代でやれることがある「自分たちでやろうぜ!」

龍田昌樹社長

「今年49歳になって、来年50歳だなって、いろんな50代の人が俺に50代になっても楽しいから大丈夫、落胆しないでって言うんだ。だから健康だけは気をつけてって。50代になっても60代になっても自分が元気なうちはこういうことは続けていきたいなと思ってる。10代には10代の遊び方があった。20代ではバンドに没頭した時代があって、30代手前で結婚もしたから、30代は仕事と子育てに没頭して、40歳で青年会議所を卒業したら、一緒に何かできる仲間がいなくなったと思ったんだけどブリックパーティーをきっかけに新しく仲間もできて、「やる文化」みたいなのを創造できた。これからも何かしらやり方が変わっても同じようなことをしてると思うんだ」と振り返ります。

何かをやっていく中で、龍田さんが違うと考えていることがあります。それは、「急に20代をターゲットにイベントを起こすような、自分の分からない世代に何かをやろうとする」こと。

「俺は同年代に育った人たちと一緒に遊びたくて、共に成長して死ぬまでずっと遊んでいきたいなと思ってるんだよね。俺たちは俺たちでやるから、30代は30代で頑張ってくれ。20代は20代で頑張ってくれって。そこに交ぜるけど、「交ぜて」じゃなくて、それはお前たちがお前たちで考えた方がいいよって思うんだよね。」

布袋寅泰

そう感じたのも、吉川晃司と布袋寅泰による伝説のユニット COMPLEX 「日本一心」東京ドーム公演での感覚。「LIVEに行ってみると、やっぱり同じ世代なのさ。東京ドームの近くの中華屋さんに入ったんだけど、客全部それ!中華屋のおばちゃんが今日何があるのさ?って聞くから、COMPLEXだよって答えると急にみんなが仲良くなってグッズ何買った?とか、みなさん楽しみましょうねって話ししてさ。」

会場では全員が歌って全員が泣いて、感動だったそうです。同じ世代で当時に流行ったもの好きなものがずっと刺さり続けているからこそ、一緒に楽しめるのだと感じたそうです。

「何もないよねって文句言ってるのがいちばんイヤじゃん、自分たちでやろうぜ」と龍田さんはよく言うのですが、この考え方もお父さまの影響です。

「俺が若い頃に選挙に行かなかったことがあって、親父に選挙なんてめんどくさいって言ったことがあった。その時にじゃあ今の日本に何の不満もないんだなって言われて、そこは自分の思うなりの不満があったんだよね。そしたら、その不満を解消するために一票を使ってその不満を解消してくれそうな人に入れろと、そういう人がいないっていうんだったらそういう人探せと、その人を応援してその人を立候補させる。周りにいないんだったらお前がやれって、これが我が国の選挙に参政する権利だからって言われて、最後は自分でやるしかないんだ、なるほどなって思った」

大人になり、ことさら遊びに関して「楽しい場所がないなら遊ばないって言うんじゃなくて、楽しい場所を探してそこに行けばいい。それが周りにないんだったら作ればいい。そういう発想になってきた。自分の楽しい場所を自分で作って、それに同調してくれる人がいればいいっていう感じ、いなくても自分が楽しいんだからそれでいいのさ。」その様子を若い人達が見て、50代になってもあんな楽しそうなら、自分たちもやろうと思ってくれればいいかなと考えています。

龍田さんの「地元愛」のルーツは生まれ育った条丁目と家族、まちで共に暮らしてきた人たちにあるのだと感じました。今までたくさんのイベントで地元を盛り上げてきた龍田社長、これからどんな活動をするのか興味津々です。

  • この記事を書いた人
タコの滑り台350

えべナビ編集部:副編集長

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