江別の著名な方や江別を全力で楽しむ方にお話を伺うインタビュー企画『江別の達人』。今回は江別市議会議員を務める猪股美香さんにご登場頂きました!
子育てをしながら市議会議員に挑戦した猪股さんの半生とはどんなものだったのでしょうか?
『江別の達人』とは?
「江別の達人」は、江別在住または江別にゆかりのある方へお話を伺う「えべナビ!」のインタビュー企画です。江別での現在の活動から、江別にまつわる歴史や思い出話、未来の展望などをお聞きし、江別の楽しさ素晴らしさを再発見します!
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もくじ
福島県出身の猪股さんが江別に移住したきっかけ
福島県出身の猪股さんが江別に移住したのは、2011年東日本大震災で起こった東京電力福島第一原発の事故がきっかけでした。当時、妊娠中の猪股さんは、事故による放射能汚染を懸念し悩んでいたところ、北海道が被災者の出産を支援していることをSNSで知り自主避難をしました。受け入れてくれたのが札幌市東区にある天使病院だったため札幌で暮らし始めました。猪股さんの移住をきっかけにお母さまも一緒に北海道へ。お母様は「江別の雰囲気が、福島で住んでいた地域に似ている」と感じたそうで、江別に住むことになります。「母はトンデンファームをすごく気に入ったんですよね」と、トンデンファームの風景が北海道のイメージそのものだったそうです。
猪股さんは2016年、自主避難してきた女性たちと大麻銀座商店街に食材の安全にこだわった子連れ向けのカフェ「もりのすみか」をオープンさせ、お子さんの小学校入学のタイミングで江別に引越してきました。
「社会と関わり続けるためには、自分のお店をやるのが一番いい」と思ったのが、カフェをはじめるきっかけでした。働きながら子育てしたいと考える同じような境遇の仲間たちと共に、仕事も子育ても協力し合える場所でした。
選挙に出て議員になることを決意
カフェでは地元のみなさんと交流を深めることにより、地域の課題を知ることになりました。「政治と生活は密着してる。政治をもっと身近にするべき」と考える猪股さんは、カフェで国会議員を呼んだイベントを開催したこともあります。
カフェを辞めて仕事を探そうとしましたが、女性でブランクがあり、さらに子どもがいて時間に制約があると、自分の希望する条件に合った仕事を見つけるのはとても難しかったそうです。「自分も社会で思い切り働きたい」と考えても、家事や育児を主に女性が担うことが当たり前とされる現状に、学生時代や結婚前から疑問を感じていたという猪股さんは、女性であることが理由で悔しい思いをする場面が多かったことに強い違和感を抱いていました。
「子どもを産んでからの制約が本当に大きいなと思ったんですよね。自分一人だったら自分が頑張ればどこまででも行けると思ってたけど、子どもが生まれた瞬間、そうはいかないっていうことがすごくわかった。でもそれは社会の協力があればできるようになるのでは?」というのが、選挙に立候補しようと思った理由の一つ。それよりも「地域に根付いたお店を営む中での経験や、震災を通じて感じたこと・気づいたことを無視して、江別を離れて就職するという選択肢は考えられませんでした」と言います。
選挙に出て議員になった方が、就職して働くよりもなおさら大変なのでは?と聞くと、当時、同じような年頃の子どもを育てる友人の「今、大変だからこそいかなきゃダメなんだ、苦労をわかってる当事者だからいかなきゃ!」という言葉に強く背中を押され、現役の子育て世代だからこそ政治に参加する意義があると感じ、2019年の市議選に立候補しました。
選挙は祭り!楽しくやって、一緒にやりたい仲間を作っていく
無所属で立候補した猪股さんには政治的な後ろ盾はなく、応援していたのは主に猪股さんの友人・知人である同世代の女性たちと猪股さんのご家族。猪股さんのためにと集まったみなさんのほとんどが、選挙活動や選挙応援って何をすればいいの?という戸惑いの中で、「選挙は祭り!楽しくやろう」と声をかけ、盛り上げていたのは猪股さんのお母さまでした。
そんな選挙が大好きなお母様について、猪股さんはこう語ります。「うちの両親は中学校の生徒会選挙で出会ったんです。父が生徒会長に立候補した時、学年が一つ上で生徒会書記だった母がサポートしていたんです」といったご両親のエピソードを紹介。さらに、「母はいまだに東京都知事選のYouTubeをずっと見ているんですよ(※1)。『江別とは関係ないでしょ(笑)』って感じですが、選挙が本当に好きなんです」と話します。お母様の選挙や政治への興味が、猪股さんに大きな影響を与えているようです。選挙が身近にあった環境で育った猪股さんにとって、議員になることを目指すハードルは低かったのかもしれません。
【※1】インタビュー時、2024年東京都知事選挙の真っ只中でした。
猪股さん自身も活動に参加してくれるママ友たちも、よちよち歩きのヒヨコみたいだという事から「ぴよぴよ隊」と呼び、みんなで手作りの選挙戦を行いました。
「選挙をやったことのない人たちが手探りで候補者を応援して、実際に政治家を誕生させられたっていうのはなかなかできない事です。一期目は本当に貴重で大切な経験でした。」
応援に参加した人たちの政治に対する意識を一気に自分ごとに変え「選挙は仲間作りなんだ」と思える活動でした。
ちなみにこの時(2019年4月)の市議会議員選挙(定数25/候補者数29)で、猪股さんは得票数で3位という快挙を成し遂げます。
江別市議会は女性比率全国1位
北海道は女性議員の割合が少ないと言われていますが、江別市議会議員・定数25人のうち女性議員が48%を占め、江別市は道内1位の女性比率となり、全国の市区でも首位であると話題になりました。女性議員が12人いるとはいえ、子育て世代は猪股さんだけ。同世代の女性たちの悩みに耳を傾け「市内の保育園に兄弟で入れたい」という声を届け、行政に働きかけました。
「子ども政策については、行政に私たちの声をしっかり届けられたと思います。主婦や女性だからといって、思い込みや偏見にとらわれずに、しっかりと行動できるんだという姿を見せたいという思いが一番強かったです。」
2023年、猪股さんにとって2期目の選挙の際、主婦として初めて選挙に挑戦した髙柳理紗さんから、「猪股さんの1回目の選挙ポスターを見て、普通の人でも選挙に出られるんだと驚きました」と声をかけられたそうです。髙柳さんが自分に続いて選挙に挑戦してくれたことに、猪股さんは大きな喜びを感じたといいます。また、猪股さん自身も「普通のお母さんが選挙に出ることには、当初大きな不安がありました」と振り返ります。
同じような悩みを抱える子育て世代の等身大の一人として、自らがその声を届ける手段となることができたという経験と、みんなの声に返していかなきゃいけないと頑張った4年間に「信託をもらい2期目に行かせてもらった」と猪股さんは言います。
そして猪股さんは今年から、35歳までに当選した若手議員が所属する北海道若手議員の会で、会長に拝命されました。議員2期目となるその表情からは確かな自信がうかがえます。
福島での子ども時代と好きなもの
猪股さんのご両親は福島県の須賀川市ご出身で、昔は「須賀川城」というお城があった城下町。風情がある宿場町でもあったため、商売をやってる人がすごく多い町だったそう。お父さまが隣町の鏡石町に家を建て酒屋を営んでいたので、猪股さんが生まれたのは鏡石町です。
毎週テレビで放送していたセーラームーンが大好きで、かわいいヒロインの月野うさぎちゃんに憧れるお子さんでした。他にもどんなことが好きだったのか聞くと「小学生の頃は漫画ばっかり読んでたんだけど、350円で一冊買っても30分で読み終わるのがもったいなくて、高学年くらいから小説を読むようになったんですよ」と、もったいなさから小説を読み始めるというユニークなエピソードが。読書は今でも大好きとのこと。猪股さんは難しそうな本をたくさん読んでいるイメージがありますが、特に好きなのは恋愛ドラマや恋愛ストーリーだとのことで、意外な一面という印象でした。
小学生の頃から吹奏楽部でフルートを吹き、中学生からは打楽器を担当し、高校時代はテレビ局のオーケストラに所属していました。「この人がいると安心と思われるような、縁の下の力持ちのポジションにいるのが好き」なのだそう。
また、少しでも上手に演奏できるようになりたいと努力を重ねる日々から、「昨日の自分を超える」が自分軸での価値基準であり、「今日の自分が、今までの人生で一番いい自分でいるために、努力し続けることが好き」という話をしてくれました。「周りの評価より、今日の自分がどうだったかというのを自分で認めてあげることに主軸を置いている。その結果、周りが評価してくれたっていうことがあると思う」。その考え方は、とてもステキですね。
市民活動が好き。市議会議員は市民を支える仕事
市議会議員の仕事は、半分行政、半分民間の立場でそれぞれの間をつなぐ係だと考えています。行政のことをSNSなどで分かりやすく伝え知らせることにも力を入れています。
「民主主義の根本は有権者である市民です。その市民が最も力を発揮できる環境を整えることが、私たちの大切な仕事の一つだと思います」と、市民活動の重要性を強調しています。仲間たちで作ったカフェでは、誰かが風邪をひいたら「じゃあ、子どもだけお店に連れてきたらいいよ。みんなでみてるよ、休んでいて」と助け合いながら暮らしていた経験を重ねていました。
「小さな困りごとって、福祉サービスに頼らなくても自分たちの中で支え合って解決できたりすることもたくさんあります。そういう力をみんなで養っていくのが私はすごく大事だなと思っています。自分の子を育てるみたいに、他人の子どもも見るみたいなことが、ご近所さん同士でもっと普通になるといい。それが全体に広がるといいですよね」と理想を語ります。かつての日本には助け合って暮らす文化が色濃かったと思いますが、現代は希薄になりつつあります。そんな世の中になるにはどうしたらいいのでしょう?
「助けてもらったらダメだみたいな感覚ってあるかもしれないんだけど、逆に頼ってくれたら頼りやすいんですよね。自分が誰かを助けたいと思ったら、まず助けを求める事が大事で。自分で抱えないで助けてもらう。まずは自分の方から誰かに頼ることが大切ではないかと思います。」
猪股さん自身もお子さんが小学生の頃から学校へ行けない時期が続き、「私が誰にも頼らないと子どもは家でずっと一人で過ごしてしまう。周りをどんどん頼りにしたんですよね」と振り返ります。周りを頼りにすることにより自分自身も気持ちが楽になったし、みんなも頼ってくれるようになって、コミュニティーを作りやすくなったのだそうです。
江別が大好きだから「この場所にいたい」
今、江別でも多文化共生が必要という話題が大きくなってきています。猪股さんも自分自身が震災で縁もゆかりもなかった江別に来ました。
「私、江別がすごく好きなんです。朝、鳥の声で目覚めて、自転車で商店街まで行って買い物して帰ってきて、そんな日常が最高。生まれた場所の福島はもちろん愛着とか郷土愛もあるけれど、自分で選んで住んでる街への郷土愛っていうのもあると思うんですよね。」
猪股さんのように、生まれた場所から遠く離れ、さまざまな事情で江別に縁が出来て、”街が気に入ったから江別で暮らし続けている”という人たちは、きっとたくさんいらっしゃるのではないかと思います。
「もともとこの街に住んでいる人も、後からこの街を選んで来た人たちも、同じ気持ちで一緒に街を育てていくことが私の理想です。だから、たくさんの人がこの街を愛し、ここで暮らしていけるようにしたいんです」と、熱い思いを語ってくれました。江別市民の幸せな日常を育むため、猪股さんは今日も地域の皆さんの声を大切にしながら活動しています。
※内容はインタビュー時(2024年7月)のものです。
猪股美香さん公式SNS
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