かつて北海道江別市の「江別駅」から当別町の「当別駅」までを結んだ『江当軌道(えとうきどう)』という鉄道が存在していました。
江当軌道は1936年(昭和11年)に廃止となり既に90年近くの歳月が過ぎています。
その鉄道廃線跡は現在どうなっているのか、5つの廃駅の現状をリポートします。
※記事内の写真は2022年11月下旬撮影。
スポンサーリンク
もくじ
江別と当別を結んだ鉄道『江当軌道(江當軌道)』とは?
「江当軌道(えとうきどう)」は、かつて北海道石狩郡当別村(現当別町)と札幌郡江別町(現江別市)を結んでいた私鉄の軌道路線でした。
1927年(昭和2年)8月18日に江別~当別間(11.3km)の営業を開始。そして国鉄・札沼線が石狩当別駅まで開通(1934年)した直後の1936年(昭和11年)5月1日に廃止されました。
路線は廃線直前の前年12月20日から翌年4月末まで冬季間運休となっており、実質1935年12月で運行終了となっていたようです。
正式な廃止日まで含めてもわずか9年弱という短命に終わった幻の鉄道路線です。
江当軌道 廃線跡の様子
2022年11月下旬、現在の江当軌道廃線跡がどのような状況になっているのか確かめに行ってきました。
江別駅跡
江当軌道・江別駅跡地にやってきました。場所は石狩川に架かる「石狩大橋」東側のたもと付近。
「江別駅」という駅名ですが、JR北海道・函館本線「江別駅」からは約3キロほども離れた距離にあります。
この辺りに江別駅の駅舎とホームがあったそうです。
「株式会社まつざき土木工業」さんの手前付近、石狩大橋のたもとに駅跡を示す標柱が立っています。
「史跡 江当軌道 当別町との交通機関」と書かれた標柱です。
ちなみにこの場所を示す標柱以外、鉄道の遺構等は何も残っていません。
標柱裏面。江別市教育委員会により平成元年(1989年)7月に建てられたようです。
標柱の前から石狩大橋の方向を見たところ。
かつて江当軌道が走っていた頃は、この江別駅から現在のJR江別駅付近の「会社通り」まで直通の連絡バスが走っていたそうです。
『車は今のマイクロバスと普通バスの中間位の大きさで、30人乗りくらい。車掌は高崎商店の帳場をやってた島田善作。ルートは会社通りから停車場通りで、ノンストップであった』
出典:えべつ昭和史 p.94
当時はまだ千歳川沿いの「江別港」が盛んだった時期なので、その港近くの「会社通り」への利用需要が高かったのかもしれません。
標柱より左手・当別方向を見たところ。かつてこの先の北へ向かって線路が延びていたようです。
この先に少し進むと「江別市立北光小学校」があります。
標柱が立っているすぐ横には、ニューしのつバス(新篠津村営バス)「農協支所前バス停」があります。
バスは一日3往復ほどしか走っていないため、観光目的で利用するのは少々難しいかもしれません。
『軌道橋』
江別駅跡から約2キロほど北上すると、篠津川に架かる橋があります。
橋の名前は『軌道橋』。江当軌道があったことを今に伝える名称です。
「篠津川」と書かれたプレート。
『軌道橋』の完成は昭和53年11月30日と、廃線からずいぶん経った後に造られたもの。
軌道橋を渡り、江別駅方向を振り返ったところ。
線路は現在の橋の位置から若干東側にあったそうです。昔は軌道時代の橋をそのまま利用したものでも架かっていたのでしょうか。
三原駅跡と給水塔?
三原駅跡。この交差点付近に駅があったようです。線路は手前(江別)から奥(当別)へ延びていました。
三原の停車場は、別段、乗り場なんかなく、道路からいきなり乗りました。客車2輛、貨物3輛計5輛ぐらいの編成でした。客車は両側の窓沿いに10人掛けの長椅子がありましたが、そんなに客は乗っていなかったようですね。
出典:えべつ昭和史 p.93
江当軌道の利用者による証言によると、三原駅にはホームも無かったようです。
三原駅跡の傍らに立つ円筒状の古い建築物。
2022年3月開催・当別ふれあい倉庫「当別、鉄道の歴史展」の情報によると、これは江当軌道で使用された給水塔の遺構だとのことです。
給水塔の可能性があるというコンクリート製建築物。もし本当なら江当軌道で唯一残る貴重な鉄道構造物といえます。
道路から給水塔の間には多くの木々が生えているため、夏場は確認できなそうな雰囲気です。
六号駅跡
六号駅跡付近の様子。線路は右(江別方向)から左(当別方向)に延びていました。
六号駅があったと思われる場所。当別方向を見る。
江別方向は砂利道となっています。鉄道が走っていた雰囲気もあまり感じられません。
三原駅と六号駅の間には運河がありますが、橋が架かっていたと思われる跡は何も残っていないそうです。
蕨岱駅跡
蕨岱駅跡の様子。「29線南3号橋(29線排水川)」付近にあったようですが、全くわかりません。
この道路付近は併用軌道だったそうです。
道路の東側あたりが線路だったようですが、カーブ横が道床跡だったのか…。想像力を膨らませて楽しむしかありません。
当別駅(當別駅)跡
江当軌道の終点「当別駅」跡地は現在、「辻野商店 つじの蔵」があります。
駅はこの裏手あたりにあったということです。
「辻野商店 つじの蔵」裏手には農業倉庫が建ち並んでいます。
裏手通りから「辻野商店 つじの蔵」方向を見たところ。
この辺りに当別駅の構内があったのでしょうか。
江當軌道當別駅跡 説明板
「辻野商店 つじの蔵」の横に、江当軌道に関する説明板が設置されていました。
江当軌道の歴史や路線図が書かれています。
当別の発展を願って地域の人たちがお金を出しあって運営された軌道がありました。地域の人たちの足として、農産物や木材・砂利等の輸送手段として、とても重宝されました。
江當軌道當別駅跡 説明板より
貴重な當別駅構内の写真も。かつては立派な駅舎が建っていたようです。
所有車両は蒸気機関車2両・ガソリン機関車2両・客車(26人乗り)3両・貨車31両/計38両だったとのこと。
ちなみに運行は冬季間を除き1日4往復(のち6往復)で、運賃は当別~江別間45銭、石狩大橋の終点から国鉄江別駅までの連絡バス運賃は15銭でした。
江当軌道の路線図と、駅跡の案内もあります。
説明看板は、株式会社辻野商店さんにより2022年8月18日に設置されたようです。
あまり知られていない江当軌道の歴史がこの看板により多くの方に知られることになりそうです。
というわけで、江当軌道廃線跡の現在の様子をリポートしました。
鉄道構造物が何も残っていないのですが、当時をしのびながら各地を見て回ると意外な発見があるかも知れません。